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めちゃくちゃトリップした後にふと、ンゴがニコニコ本社に檸檬置いて爆発させる妄想で戻ってきた。
檸檬、なんでか分からないけど読了感がすごいいいんだよね。中学生の時読んで、始めての感覚だったから未だに覚えてる。
檸檬は、雰囲気というか世界観というか、独特の空気みたいなのが好きなんだよなめちゃくちゃ体調良くて俄然無敵になった日みたいな感じがする
呼吸の感じとか、細かな子音とか、一言ひとこと大切に優しく読み上げる丁寧さとか、でもさらさらと流れるように自然に耳に入ってくる“良さ”とか、全部最高だけど言ったらキリないから……ありがとう、ンゴちゃん!
推しが推しの作品読むのか…!!最高じゃねえか
志摩スペイン村の件で知り、この動画に辿り着きました。梶井基次郎の『檸檬』は、私が日本文学にはまったきっかけとなった作品の一つで、朗読してくれて本当にうれしいです!声がとても聞き取りやすく、適度に感情が入っていて、没入感満載の朗読だと感じました。これを縁にこれからも応援していきます!
檸檬は冒頭がとても良いのですわ〜!
本当に良い声だし読み方の抑揚とか素晴らしい「力が要るな!」の箇所の少し力強い読み方、最後の方の心弾んでいるような読み方好き
ビードロの味に「詩美」という言葉を使うのは少し大げさだけど、音で聴くとあの感じはたしかに「しび」としか言いようがないなって感じる。とても心地いい朗読でした。サムネもステンドグラスみたいで素敵。
静かな気持ちになりたい時に、んごちゃんの檸檬を聞きたくなる。本当に大好き。
朗読配信は読んだことの無い名作、もう一度読みたい名作に出会える良い機会だと思うから全力で楽しむわよ…
その昔にじ文学っていう朗読ボイスがあったんだけどその時の音声を引っ張り出して復習してから来たよ朗読は読み手のテンポや感情の乗せ方によって印象が変わるから面白いねぇまた何か読み聞かせてほしい
現代文の授業で予習で読んで来いって言われたからめっちゃすごいタイミング!!嬉しい!!これで楽しく勉強できる
声の強弱が海の波みたいですごく心地いい
昔習ったのもありますが、耳に優しい声で言葉をわかりやすく、丁寧に読まれていたので文章の風景が頭に浮かんで来ました。とても素敵なコンテンツだと思います。(声と話に集中して眠れなかったすき)
朗読しているときのンゴはンゴ様と呼びたくなる
好きな作品を大好きなンゴ氏が……ンゴちゃんの朗読聞きながらじゃないと寝られないのでありがたい
待望の梶井基次郎朗読……!耳かっぽじっておくよ。
頭の後ろの当りが心地良くゾワゾワする感じがしてとても良き
躁鬱っぽさがめちゃくちゃ好きな作品!朗読ありがとう🍋
ンゴちゃんの朗読配信まじで毎回楽しみすぎる
好きな作品である檸檬と推しが掛け合わさって無敵になってる
いい声で内容を楽しめて、勉強のお供にもなるなんて最高だよ!ありがと〜!!
高校生時代にテストの範囲だったからその時に聞けていたら、、!でもンゴちゃんの朗読が聴けたので幸せです
中学生の頃から大好きなお話なので、ンゴちゃんが朗読してくれてとっても嬉しいです!間の使い方や声色などは個性が強く出る部分なので、ンゴちゃんの檸檬を聴けて大感謝!!
もうすぐ学校の授業で檸檬するからすごくタイムリーで嬉しい
切り抜きで知った時、間違いなく1度目の檸檬を見つけたと思ったし、それが今も続いてるすごく聴き心地が良かったです。感謝〜!
青空文庫で文字を一緒に追うのもよき
声が綺麗で心地よいです。
これは実質ASMR...
最高に心地いい朗読だから、楽しみ…
最高です。落ち着いた素敵な声で聴き惚れます。この声、ほんとすき学生時代の思い出を思いこしながら聞けました。今でも本屋の本の置き場を見ると思い出しちゃう作品です。
こういう動画定期的に欲しいわ
いつも声良すぎるンゴ
ええ声ぇ...
vtuber以外も含めて一番朗読上手いと思う。人間失格と三四郎待ってます
目を瞑ってこれ聞いたら本当に爆睡してて起きてスマホ見たら放送終わってたから怖い声が良すぎるんよ
まじで、作業音声に最適
いつも寝る前に聴かせてもらってます!なので、内容知りたいのに途中で寝ちゃう😂
ぐっすり寝れてびっくりした
ンゴちゃん本当にいい声だn....スヤァ〜
あ、すき・・・すき・・・やばすき・・・・
テスト範囲だから助かる〜!ありがとうンゴ!!!😭
ありがとうございます🙇♂️
檸檬好きだからたすかる
朗読非常に助かりますありがたや
好きおやすみなさ〜い
檸檬好きな作品だからうれしい
心地よい声色
学校のテストで出たからさんごちゃんのこの朗読ひたすら聴きながら勉強しました!とても助かりました!声が良すぎて夜中聴きながら勉強してたら眠くなって寝てました😪
声が美しすぎて逆に寝れませんでした気づいたら2周してました
毎日聞いて快適に寝れてます!ありがとう🍋
良かった。こういう読み方できないから勉強になる
心地よい低音に散りばめられたエッジボイスで、耳の奥が撫でられたようにぞわりとする。梶井基次郎のピュアな文体の魅力を存分に引き出した、ンゴちゃん朗読配信の最高傑作。大変助かります。ありがとうございました。
朗読良いな
テストの範囲なので使わせていただきます!
読書感想文で檸檬選んだんだけど、聴きながら読むの最高すぎ
檸檬うれしい
寝られない時にいつもお世話になってます。お陰で爆発シーンは毎回聞き逃がしますが…
Nice reading, Sango!
梶井基次郎すこすこのすこ
檸檬大好きだからめちゃくちゃ嬉しい‼︎!
ありがとうございます
楽しみ〜😭♡
め、名作だ…
きちゃぁあああああ!!!!1番大好きな物語なのありがとうンゴちゃん大好き!!!!!!!!
今ちょうど、高校の授業でしているので寝る前に聞かせてもらっています!
最近眠れなくて睡眠導入系を聞き漁っていたところにンゴちゃんの朗読を見つけました。すごく綺麗な発音や抑揚の付け方で、聞き入ってるのにいつの間にか眠っている…!という不思議な現象が1週間続いてます(T . T)ありがたい。いつか全部聴きたい、けれども全部聞いてしまったら睡眠導入にならない。とても複雑な気持ちですが、これからも毎夜お供にさせて頂きます!ンゴちゃんありがとう🥰🙏
前回の動画と緩急がめちゃくちゃすぎる、三寒四温かよ
最近、サンゴさんを知りました。普段の弾けた明るい配信も好きですし、しっとりとした声の朗読配信も、歌の朗読も大好きです。志摩スペイン村への愛も、動画を拝見していてとても伝わってきて、見ているこちらがうれしくなりました。スペイン村、行きますね。檸檬、好きな作品です。とても楽しかったです。他にも、芥川龍之介の「蜜柑」など3作品の朗読も拝聴しました。「蜜柑」は勉強不足で知らなかったので、知ることができて楽しかったですし、面白かったです、もし、気が向かれましたら、梶井基次郎つながりで「桜の樹の下には」や坂口安吾の「桜の森の満開の下」などを拝聴してみたいです。素敵な朗読を公開してくださり、ありがとうございます!
誕生日に朗読配信ありがてぇです
初めて見たから、え終わった~~~~~~!?!!?って気持ちになった表現が好き
最高
快眠できました
檸檬朗読は助かる
学生の時「れもんは何の例えだと思いますか」って問いに答えられなかったけど今ならわかるンゴちゃんのおかげでわかる、気ガス
あ、この人檸檬朗読してたんだ。僕梶井基次郎の作品大好きで特に檸檬に関しては暗唱できます。そんくらい好きです。朗読ありがたし。
ありがてぇ!!!!!
聞き始めて1分で既に眠たくなってきてる
助かる
終始じゃなくて、始終ですね。ただ、ンゴちゃんの朗読の声は、とても好きです。(語彙力の損失)
いっとういい声ですね。
歌詞です檸檬梶井基次郎 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦躁(しょうそう)と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖(はいせん)カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪(いたたま)らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。 何故(なぜ)だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗(のぞ)いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕(むしば)んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀(どべい)が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵(ひまわり)があったりカンナが咲いていたりする。 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団(ふとん)。匂(にお)いのいい蚊帳(かや)と糊(のり)のよくきいた浴衣(ゆかた)。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。希(ねが)わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様(しまもよう)を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火(ねずみはなび)というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆(そそ)った。 それからまた、びいどろという色硝子(ガラス)で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉(なんきんだま)が好きになった。またそれを嘗(な)めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほど幽(かす)かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ち魄(ぶ)れた私に蘇(よみがえ)ってくる故(せい)だろうか、まったくあの味には幽(かす)かな爽(さわ)やかななんとなく詩美と言ったような味覚が漂って来る。
察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言えそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには贅沢(ぜいたく)ということが必要であった。二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ媚(こ)びて来るもの。――そう言ったものが自然私を慰めるのだ。 生活がまだ蝕(むしば)まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落(しゃれ)た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色(ひすいいろ)の香水壜(こうすいびん)。煙管(きせる)、小刀、石鹸(せっけん)、煙草(たばこ)。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていたのだが――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨(さまよ)い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留(ど)まったり、乾物屋の乾蝦(ほしえび)や棒鱈(ぼうだら)や湯葉(ゆば)を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下(さが)り、そこの果物屋で足を留(と)めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗(うるしぬ)りの板だったように思える。何か華やかな美しい音楽の快速調(アッレグロ)の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝(こ)り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆(うず)高く積まれている。――実際あそこの人参葉(にんじんば)の美しさなどは素晴(すば)らしかった。それから水に漬つけてある豆だとか慈姑(くわい)だとか。 またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいに賑(にぎや)かな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのが瞭然(はっきり)しない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはその家の打ち出した廂(ひさし)なのだが、その廂が眼深(まぶか)に冠(かぶ)った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭に点(つ)けられた幾つもの電燈(灯)が驟雨(しゅうう)のように浴びせかける絢爛(けんらん)は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒(らせんぼう)をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋(かぎや)の二階の硝子(ガラス)窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀(まれ)だった。 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬(れもん)が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈(たけ)の詰まった紡錘形の恰好(かっこう)も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛(ゆる)んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗(しつこ)かった憂鬱が、そんなものの一顆(いっか)で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖(はいせん)を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼(だれかれ)に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故(せい)だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅(か)いでみた。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲(う)つ」という言葉が断(き)れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。…… 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。 私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街を⁺[闊]歩(かっぽ)した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量(はか)ったり、またこんなことを思ったり、 ――つまりはこの重さなんだな。―― その重さこそ常(つね)づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心(かいぎゃくしん)からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。「今日は一(ひと)つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。香水の壜にも煙管(きせる)にも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立て罩(こ)めて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな! と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪(たま)らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙色(だいだいろ)の重い本までなおいっそうの堪(た)えがたさのために置いてしまった。――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒さらし終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。……「あ、そうだそうだ」その時私は袂(たもと)の中の檸檬(れもん)を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」 私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌(あわただ)しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。 やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬(れもん)を据えつけた。そしてそれは上出来だった。 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃(ほこり)っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。 不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰くわぬ顔をして外へ出る。―― 私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。 変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑(ほほえ)ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉(こっぱ)みじんだろう」 そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩(いろど)っている京極を下って行った。
(以上の文章は原文(青空文庫参照)+αです。著作権的問題や誤字脱字等御座いましたら、返信にて報告して頂けると有り難いです)
梶井基次郎繋がりで桜の樹の下には死体が埋まっている朗読してほしいな
どかーん!
高校でこれから檸檬やります毎日んごちゃんの朗読聞いて成績あげるんだᕙ( ˙꒳˙ )ᕗめちゃくちゃ心地良いお声...
最高の誕生日プレゼントの予感…
○○に似てる っていい感想じゃないのかもしれませんが、本当に純粋に他意無く、静かにしゃべる花澤香菜さんに似てるな と思いました。綺麗な声でした。
学校の教科書無くしたところだったんで助かりました🙇♀️
高校の教科書で読んで何故かドハマリして京都まで聖地巡礼したの思い出した
昨日ンゴを見始めて今日現代文で檸檬に入りました....←???!!これから通いますよろしくお願いします。。。。
定期テストのために使える
ンゴ、健屋、シェリン、黛とかで朗読劇イベントとかやらんかなぁ。
米津朗読かと思ったら真面目なやつやった
初めて読んで大好きになった文豪作品をサンゴさんが読んで下さるとは、、、┌(._.♡)┐アリガタヤー
想像の20倍本格的な朗読で草
数回に分けて司馬遼太郎の坂の上の雲朗読欲しい
甘橙
始終?終始ではない気が
なんか見たことある背景やと思ったら水戸黄門のOPだわ
めちゃくちゃトリップした後にふと、ンゴがニコニコ本社に檸檬置いて爆発させる妄想で戻ってきた。
檸檬、なんでか分からないけど読了感がすごいいいんだよね。中学生の時読んで、始めての感覚だったから未だに覚えてる。
檸檬は、雰囲気というか世界観というか、独特の空気みたいなのが好きなんだよな
めちゃくちゃ体調良くて俄然無敵になった日みたいな感じがする
呼吸の感じとか、細かな子音とか、一言ひとこと大切に優しく読み上げる丁寧さとか、でもさらさらと流れるように自然に耳に入ってくる“良さ”とか、全部最高だけど言ったらキリないから……
ありがとう、ンゴちゃん!
推しが推しの作品読むのか…!!
最高じゃねえか
志摩スペイン村の件で知り、この動画に辿り着きました。
梶井基次郎の『檸檬』は、私が日本文学にはまったきっかけとなった作品の一つで、朗読してくれて本当にうれしいです!
声がとても聞き取りやすく、適度に感情が入っていて、没入感満載の朗読だと感じました。
これを縁にこれからも応援していきます!
檸檬は冒頭がとても良いのですわ〜!
本当に良い声だし読み方の抑揚とか素晴らしい
「力が要るな!」の箇所の少し力強い読み方、最後の方の心弾んでいるような読み方好き
ビードロの味に「詩美」という言葉を使うのは少し大げさだけど、音で聴くとあの感じはたしかに「しび」としか言いようがないなって感じる。
とても心地いい朗読でした。サムネもステンドグラスみたいで素敵。
静かな気持ちになりたい時に、んごちゃんの檸檬を聞きたくなる。本当に大好き。
朗読配信は読んだことの無い名作、もう一度読みたい名作に出会える良い機会だと思うから全力で楽しむわよ…
その昔にじ文学っていう朗読ボイスがあったんだけど
その時の音声を引っ張り出して復習してから来たよ
朗読は読み手のテンポや感情の乗せ方によって印象が変わるから面白いねぇ
また何か読み聞かせてほしい
現代文の授業で予習で読んで来いって言われたからめっちゃすごいタイミング!!
嬉しい!!これで楽しく勉強できる
声の強弱が海の波みたいですごく心地いい
昔習ったのもありますが、耳に優しい声で言葉をわかりやすく、丁寧に読まれていたので文章の風景が頭に浮かんで来ました。
とても素敵なコンテンツだと思います。
(声と話に集中して眠れなかったすき)
朗読しているときのンゴはンゴ様と呼びたくなる
好きな作品を大好きなンゴ氏が……
ンゴちゃんの朗読聞きながらじゃないと
寝られないのでありがたい
待望の梶井基次郎朗読……!
耳かっぽじっておくよ。
頭の後ろの当りが心地良くゾワゾワする感じがしてとても良き
躁鬱っぽさがめちゃくちゃ好きな作品!朗読ありがとう🍋
ンゴちゃんの朗読配信まじで毎回楽しみすぎる
好きな作品である檸檬と推しが掛け合わさって無敵になってる
いい声で内容を楽しめて、勉強のお供にもなるなんて最高だよ!ありがと〜!!
高校生時代にテストの範囲だったからその時に聞けていたら、、!でもンゴちゃんの朗読が聴けたので幸せです
中学生の頃から大好きなお話なので、ンゴちゃんが朗読してくれてとっても嬉しいです!
間の使い方や声色などは個性が強く出る部分なので、ンゴちゃんの檸檬を聴けて大感謝!!
もうすぐ学校の授業で檸檬するからすごくタイムリーで嬉しい
切り抜きで知った時、間違いなく1度目の檸檬を見つけたと思ったし、それが今も続いてる
すごく聴き心地が良かったです。感謝〜!
青空文庫で文字を一緒に追うのもよき
声が綺麗で心地よいです。
これは実質ASMR...
最高に心地いい朗読だから、楽しみ…
最高です。落ち着いた素敵な声で聴き惚れます。
この声、ほんとすき
学生時代の思い出を思いこしながら聞けました。
今でも本屋の本の置き場を見ると思い出しちゃう作品です。
こういう動画定期的に欲しいわ
いつも声良すぎるンゴ
ええ声ぇ...
vtuber以外も含めて一番朗読上手いと思う。人間失格と三四郎待ってます
目を瞑ってこれ聞いたら本当に爆睡してて起きてスマホ見たら放送終わってたから怖い
声が良すぎるんよ
まじで、作業音声に最適
いつも寝る前に聴かせてもらってます!なので、内容知りたいのに途中で寝ちゃう😂
ぐっすり寝れてびっくりした
ンゴちゃん本当にいい声だn....スヤァ〜
あ、すき・・・すき・・・やばすき・・・・
テスト範囲だから助かる〜!
ありがとうンゴ!!!😭
ありがとうございます🙇♂️
檸檬好きだからたすかる
朗読非常に助かります
ありがたや
好き
おやすみなさ〜い
檸檬好きな作品だからうれしい
心地よい声色
学校のテストで出たからさんごちゃんのこの朗読ひたすら聴きながら勉強しました!とても助かりました!声が良すぎて夜中聴きながら勉強してたら眠くなって寝てました😪
声が美しすぎて逆に寝れませんでした気づいたら2周してました
毎日聞いて快適に寝れてます!ありがとう🍋
良かった。こういう読み方できないから勉強になる
心地よい低音に散りばめられたエッジボイスで、耳の奥が撫でられたようにぞわりとする。
梶井基次郎のピュアな文体の魅力を存分に引き出した、ンゴちゃん朗読配信の最高傑作。
大変助かります。ありがとうございました。
朗読良いな
テストの範囲なので使わせていただきます!
読書感想文で檸檬選んだんだけど、聴きながら読むの最高すぎ
檸檬うれしい
寝られない時にいつもお世話になってます。お陰で爆発シーンは毎回聞き逃がしますが…
Nice reading, Sango!
梶井基次郎すこすこのすこ
檸檬大好きだからめちゃくちゃ嬉しい‼︎!
ありがとうございます
楽しみ〜😭♡
め、名作だ…
きちゃぁあああああ!!!!
1番大好きな物語なのありがとうンゴちゃん大好き!!!!!!!!
今ちょうど、高校の授業でしているので寝る前に聞かせてもらっています!
最近眠れなくて睡眠導入系を聞き漁っていたところにンゴちゃんの朗読を見つけました。
すごく綺麗な発音や抑揚の付け方で、聞き入ってるのにいつの間にか眠っている…!という不思議な現象が1週間続いてます(T . T)ありがたい。
いつか全部聴きたい、けれども全部聞いてしまったら睡眠導入にならない。とても複雑な気持ちですが、これからも毎夜お供にさせて頂きます!
ンゴちゃんありがとう🥰🙏
前回の動画と緩急がめちゃくちゃすぎる、三寒四温かよ
最近、サンゴさんを知りました。普段の弾けた明るい配信も好きですし、しっとりとした声の
朗読配信も、歌の朗読も大好きです。志摩スペイン村への愛も、動画を拝見していて
とても伝わってきて、見ているこちらがうれしくなりました。スペイン村、行きますね。
檸檬、好きな作品です。とても楽しかったです。
他にも、芥川龍之介の「蜜柑」など3作品の朗読も拝聴しました。「蜜柑」は勉強不足で
知らなかったので、知ることができて楽しかったですし、面白かったです、
もし、気が向かれましたら、梶井基次郎つながりで「桜の樹の下には」や
坂口安吾の「桜の森の満開の下」などを拝聴してみたいです。
素敵な朗読を公開してくださり、ありがとうございます!
誕生日に朗読配信ありがてぇです
初めて見たから、え終わった~~~~~~!?!!?って気持ちになった
表現が好き
最高
快眠できました
檸檬朗読は助かる
学生の時「れもんは何の例えだと思いますか」って問いに答えられなかったけど今ならわかるンゴちゃんのおかげでわかる、気ガス
あ、この人檸檬朗読してたんだ。僕梶井基次郎の作品大好きで特に檸檬に関しては暗唱できます。そんくらい好きです。朗読ありがたし。
ありがてぇ!!!!!
聞き始めて1分で既に眠たくなってきてる
助かる
終始じゃなくて、始終ですね。ただ、ンゴちゃんの朗読の声は、とても好きです。(語彙力の損失)
いっとういい声ですね。
歌詞です
檸檬
梶井基次郎
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。焦躁(しょうそう)と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖(はいせん)カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪(いたたま)らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。
何故(なぜ)だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗(のぞ)いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕(むしば)んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀(どべい)が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵(ひまわり)があったりカンナが咲いていたりする。
時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団(ふとん)。匂(にお)いのいい蚊帳(かや)と糊(のり)のよくきいた浴衣(ゆかた)。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。希(ねが)わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様(しまもよう)を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火(ねずみはなび)というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆(そそ)った。
それからまた、びいどろという色硝子(ガラス)で鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉(なんきんだま)が好きになった。またそれを嘗(な)めてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほど幽(かす)かな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ち魄(ぶ)れた私に蘇(よみがえ)ってくる故(せい)だろうか、まったくあの味には幽(かす)かな爽(さわ)やかななんとなく詩美と言ったような味覚が漂って来る。
察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言えそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには贅沢(ぜいたく)ということが必要であった。二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ媚(こ)びて来るもの。――そう言ったものが自然私を慰めるのだ。
生活がまだ蝕(むしば)まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落(しゃれ)た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色(ひすいいろ)の香水壜(こうすいびん)。煙管(きせる)、小刀、石鹸(せっけん)、煙草(たばこ)。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。
ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていたのだが――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨(さまよ)い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留(ど)まったり、乾物屋の乾蝦(ほしえび)や棒鱈(ぼうだら)や湯葉(ゆば)を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下(さが)り、そこの果物屋で足を留(と)めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗(うるしぬ)りの板だったように思える。何か華やかな美しい音楽の快速調(アッレグロ)の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝(こ)り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆(うず)高く積まれている。――実際あそこの人参葉(にんじんば)の美しさなどは素晴(すば)らしかった。それから水に漬つけてある豆だとか慈姑(くわい)だとか。
またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいに賑(にぎや)かな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのが瞭然(はっきり)しない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはその家の打ち出した廂(ひさし)なのだが、その廂が眼深(まぶか)に冠(かぶ)った帽子の廂のように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、廂の上はこれも真暗なのだ。そう周囲が真暗なため、店頭に点(つ)けられた幾つもの電燈(灯)が驟雨(しゅうう)のように浴びせかける絢爛(けんらん)は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒(らせんぼう)をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋(かぎや)の二階の硝子(ガラス)窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀(まれ)だった。
その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬(れもん)が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈(たけ)の詰まった紡錘形の恰好(かっこう)も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛(ゆる)んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗(しつこ)かった憂鬱が、そんなものの一顆(いっか)で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖(はいせん)を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実友達の誰彼(だれかれ)に私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰のよりも熱かった。その熱い故(せい)だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。
私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅(か)いでみた。それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲(う)つ」という言葉が断(き)れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。……
実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。
私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街を⁺[闊]歩(かっぽ)した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量(はか)ったり、またこんなことを思ったり、
――つまりはこの重さなんだな。――
その重さこそ常(つね)づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心(かいぎゃくしん)からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。
どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日は一(ひと)つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。
しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。香水の壜にも煙管(きせる)にも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立て罩(こ)めて来る、私は歩き廻った疲労が出て来たのだと思った。私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな! と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪(たま)らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙色(だいだいろ)の重い本までなおいっそうの堪(た)えがたさのために置いてしまった。――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。
以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒さらし終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。……
「あ、そうだそうだ」その時私は袂(たもと)の中の檸檬(れもん)を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」
私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌(あわただ)しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬(れもん)を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃(ほこり)っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
――それをそのままにしておいて私は、なに喰くわぬ顔をして外へ出る。――
私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑(ほほえ)ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉(こっぱ)みじんだろう」
そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩(いろど)っている京極を下って行った。
(以上の文章は原文(青空文庫参照)+αです。著作権的問題や誤字脱字等御座いましたら、返信にて報告して頂けると有り難いです)
梶井基次郎繋がりで
桜の樹の下には死体が埋まっている
朗読してほしいな
どかーん!
高校でこれから檸檬やります
毎日んごちゃんの朗読聞いて成績あげるんだᕙ( ˙꒳˙ )ᕗめちゃくちゃ心地良いお声...
最高の誕生日プレゼントの予感…
○○に似てる っていい感想じゃないのかもしれませんが、本当に純粋に他意無く、静かにしゃべる花澤香菜さんに似てるな と思いました。綺麗な声でした。
学校の教科書無くしたところだったんで助かりました🙇♀️
高校の教科書で読んで何故かドハマリして京都まで聖地巡礼したの思い出した
昨日ンゴを見始めて今日現代文で檸檬に入りました....←???!!
これから通いますよろしくお願いします。。。。
定期テストのために使える
ンゴ、健屋、シェリン、黛とかで朗読劇イベントとかやらんかなぁ。
米津朗読かと思ったら真面目なやつやった
初めて読んで大好きになった文豪作品を
サンゴさんが読んで下さるとは、、、
┌(._.♡)┐アリガタヤー
想像の20倍本格的な朗読で草
数回に分けて司馬遼太郎の坂の上の雲朗読欲しい
甘橙
始終?終始ではない気が
なんか見たことある背景やと思ったら水戸黄門のOPだわ